海と山が好き

海と山が好きだけど埼玉に住むおっさんが遭遇したアジャイルとかのはなし

Scrum Master は衝突に対して第3の案を出すのが仕事、という話について

何の話?

スクラムマスターはチーム内で意見の衝突が発生したときにどう対処するとよいか、という話

 

タイトルは何?

アドバンストスクラムマスター研修(だったかな?)で聞いた話。

スクラムマスターはAかBかという意見の食い違いに対し、C案を出すのが仕事だ」

って言われて、なんのこっちゃ。と当時未消化だった内容。

 

この記事はどういう話?

現象学をヒントに、第3の意見を出すとはどういうことなのかを再理解したという話。

 

 

意見の衝突って、よくあるよね

ある状況において、意見が違うことは、ままある。

どういう設計にするか、とか、アジャイルに向かうべきか、そうじゃない、とか。

これは、スクラムマスターがスクラムチームのメンバー同士の衝突に際するときだったり、または自分自身が衝突の当事者になってしまうこともありうる。たとえば、チームからさらに組織へアジャイルを広める立場のスクラムマスターなんかは、新たに導入対象(という言葉は非常に嫌いだが)の人に対して説明する際に、よく意見の衝突やギャップを感じるのではと思う。

というのをえわさんの新潟での発表を見ていてあるある~と思って眺めていた。

Scrum Fest Niigata 2023登壇と、付きまとう不安を吹き飛ばしてくれたみなさんの言葉|えわ

 

こんな時にどうしているか?

よくあるイマイチなパターンは、「説得する」「多数決」etc ...

論理武装し、以下に今がダメか、どれほどアジャイルが良いか、みたいなことを滔々と述べる。結果はよくて、”理解はしたが納得はしていない”。そしてその後は推して知るべし。

(導入の成果だけが目的で、後の結果は知らん、とかであればこれでいいのかもしれない :anger:)

 

なぜ衝突が発生するのか?

なぜ、Aさんの意見とBさんの意見がなぜ食い違ってしまうのか。

現象学という学問の中では、「AさんとBさんの認識した世界が異なるから」と解釈される。

 

そんな馬鹿な。世界は一つだろ。

 

もう少しかみ砕くと、人間は、自分の経験や関心というフィルターを通してでしか、世界を認識することができない。その経験や関心が個人ごとに異なるので、認識した世界は原理的に異なってしまう。と考える。

コップの水が ”半分しかない” と考えるか、”半分もある” と考えるかの違い、にも似ている。どちらが正しい認識である、というのではなく、客観的な事実(コップに水が半分入っている)に対し、半分”も”入っていると解釈するか、半分”しか”入っていないと解釈するかの認識の差、つまり世界の見え方が個人ごとに異なってくる。

コップと水のイラスト

 

「群盲象を評す」の故事のように、見ているもの自体が異なるのではなく、どういつのモノ・世界を見ていても、解釈は異なってしまうし、結果として客観的な世界を解釈することは人間にはできない。

まずはこの、「お互いに異なる経験や価値観をもとに世界を認識した結果、見えている世界が異なるので、解釈や意見は異なって当然」という理解を持つことからスタートする必要がある。

なので、「AかBか?」 となったときに、”ABどちらかが正しい” と思ってしまう考え方は、まず棄却しないといけない。

(とはいえ、”正解” を探す練習を学校でしてきた我々には難しい面もあるが)

 

じゃあどうしたらよいのか

認識できる世界が異なるなら、合意なんてできないんじゃないのか。

という絶望的な帰結になってしまうそうだが、実際問題、我々はある程度共通認識をもって社会活動を行っていて、ありとあらゆる瞬間に衝突しているような尖ったナイフな人生は送っていない。つまり、ある程度共通的に合意できる領域も存在している、ということがわかる。これをヒントに、衝突を解消していくようにする。


まずは、今自分が考えていることが自然で客観的にモノを見ているので他の人も同じだろう、という考えをやめる。

これは、意見が違うぞ?認識がズレているぞ?合意できてないぞ?となった際に立ち止まるとよい。

現象学的に言えばエポケー、判断停止)

 

しかし、両者が共通合意できる物事もあるはずだ、と考え、それを探す。

たとえば、コップに水が入っている、これはあなたたちお互いに了解できるよね、とか。

たとえば、今より仕事のやり方を楽にしていきたい、これはあなたも私も了解できるよね、とか。

この共通了解できる空間を見つけることをまずはやる。


// 長くなってきたのでとりあえずここまで。

// 次以降いつか書く:どう新しいC案を出すのか。どういうメンタルモデルで挑むのか。どういう対話の工夫があるのか。