海と山が好き

海と山が好きだけど埼玉に住むおっさんが遭遇したアジャイルとかのはなし

『別にスクラムは目的ではないので』との向き合い方。

「別にスクラムは目的ではないので」

親の顔よりよく見かけるフレーズ(当社比)

スクラムの規定しているロールやイベントをやらない際に使われる。Scrumbut みたいな。

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もちろんスクラム自体は目的ではないし、してはいけない(と、個人的には思っている)が、スクラムがなぜ機能するのか、を理解せずに、上の言葉を持ち出してねじ曲げる場面を見ると、少し危ないと思っている。

(もっとも、スクラムだけじゃなくて、PMBOKCMMI でもよく聞いたし同様だ)

 

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スクラムを個人戦にしてしまう方法

スクラムではチームの成果にフォーカスする。

そのためには、個人で仕事をする形から、チームで仕事をする考え方にシフトしないとけない。

いわゆる Swarming という考え方で、チームが寄ってたかって一つの開発アイテムを進めることを意味している。

逆に、チームでバラバラと仕事を進めるわけではない。

イメージしにくい人は、アメフトの試合で、ボールがフィールド上にいくつあるのか(1つに決まっている)、チームはどのボールに向かっているのか(1つに決まっている)を想像してみるといいと思う。あっちもこっちもボールが転がってたら大変だ。面白そうだけど。


なぜチームで仕事をするのか

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チームを支援するときの一/二人称

チームを支援するときに、チームを何て呼ぶか

  1. 「みなさん」と呼ぶ
  2. 「わたしたち」と呼ぶ

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どっちがベターなんでしょうか?または状況によるんでしょうかね?

 

っていうのを、考えるきっかけがありました。

# 自分は「わたしたち」を積極的に使う(使えるようにする)派です。

 

 

そういえば、「アジャイルコーチング」でも、同じような話が書かれていた気がする

 

アジャイルコーチング

アジャイルコーチング

 

「1.2 コーチングの態度を形成する」 より

綺麗な言葉を使うことはもちろんですが、チームとの話し方にも配慮する必要があります。

「私が」「あなたが」「彼らが」ではなく、「私たちの」「私たちが」「私たちに」を使って、あなたもチームの一員であることを示しましょう、 

 

よくチームで何かを変えることに取り組む際に、主語が「わたし」か、「私たち」かは受け取り手の印象がかなり違ってくる

単純に言葉から相手対自分という構図がなくなり、問題対私たちの構図になるからなのだと思う(心理学的に名前があるのかは知らない)

大事なのは、堂々と「自分自身も問題だと感じている」になれるかどうかなのだと思う。

We have a problem.

 

一方で似ているようでかなり違う意識として、「私はあなたの問題を理解しています」の態度になる。

I understand your problem.

 

要はSympathyとEmpathyの違い。

 

なので、臆面なく「私たちの問題は」が言えるように相手のコンテキストに潜り込むことが大事で、そこからやっとまともな解決の筋道が見えてくる(ダメなときもある)

そのためにも、「自分は問題だと思っているが相手/チームは理解していない」という状況をさっさとメタ認知して、「自分が相手の問題を理解できていない」という課題を解く練習が必要だったりする。難しい。

 

ところで勘違いや悪用してほしくないが、「私たち」話法は相手をやる気にさせるのに非常に効果的なので、そのために使おうというのはevilな感じがするということ。

政治のスピーチの中で大衆をモチベートするときによく使われるし、あのヒトラーの演説なんかでもよく見る。要は独裁者の洗脳テクニックにもなってしまう。ギレン・ザビの演説でも多用されてる。

(一方そんな言葉遣いはなくひたすらに俺とお前達で通すドズル兄が対比的。好き。)

スクラムマスターがチームの影の独裁者になるとろくなことにならないので要注意。

なんでもアジャイルなのだ

空前のアジャイルブーム到来(主観)

ここ2、3年? アジャイルブームが来ている、気がする。

 

一方で、アジャイルっていう必要あるんかそれ?っていうモノも見かけるようになってきた。

 

アジャイルアジャイル、みたいな接尾辞がつくのは特にそんな感じのものが多い気がする。

 

 

アジャイルを名乗るな!とかいうわけではなくて、本質を見失うと空回りしかないからよくないんじゃないかなーと思う

 

第一、”それ” を広め ら れ る 側の立場からすると、謎の横文字と出羽守スタイルで殴りかかってくる敵と戦う構図になるので拒否反応しか出ないのではないかなあ。

 

アジャイルってなんだったっけ

ところで、そもそもアジャイルってなんだったっけ、に戻ってくる。

アジャイル開発ではなくてアジャイル

 

みんな大好きアジャイルマニフェストのとおり、価値宣言と原則があって、っていう。

 

アジャイルソフトウェア開発宣言

アジャイル宣言の背後にある原則

 

表現がシンプルすぎて誤解を生みまくる、というか都合の良い解釈をされやすいこれら。

よくわかんないからって調べても、まあまあ怪しい解釈サイトがいっぱい出てきて中々腹落ちしづらいこともあるし、そこでみんないろんな解釈をしてすれ違いが生まれるんだろうなあ(他人事)

 

背景や過程を知らないで文言だけ追っても本来の意図とは違うものを解釈するのは当然起こる。

tree-swing-s-hogh

ので、背景や過程を知っておくのも、アジャイルとは?ってのを理解する上では重要だと思う。

(ユーザーストーリーにおける、so that ~~~ の部分。)

一応、Agile Manifesto のページにはちょっとだけ History ページもあるけどなんでこれ翻訳されておらんのやろ。

agilemanifesto.org

 

読もうね。

 

計画駆動(≒現実軽視)やプロセス重視(≒人間軽視) からの脱却であって、見える化とかチームとか速くデリバリするとかはそのための手段ちゃうんかな

 

アジャイルで部署の枠を超えて新商品発売の開発期間をxx%削減!とか言われても、会社が小さかった頃はアジャイルなんて言わずにそうだったんじゃないの?アジャイルっていう必要あるの?とか思ってしまう(性格悪い)

 

営業部は昔から組織目標の売り上げの達成グラフみたいなのを出すことはずっとやってる。でもアジャイルとは言わないだろう。

営業の現場でも昔から使われている見える化という取り組み(パターン)をアジャイルでも使われている、ってだけで。

土木の現場では毎朝朝会をやっている。でもそれをアジャイルとは言わないだろう。

毎朝現実の進捗に基づいてその日の計画を立てる、予測を立てる、っていうのをアジャイル開発も同じようにやっているだけで。

 

逆にアジャイルは朝会をやります、というのを、脳死でマネしても多分意味はないしそれでアジャイルとか言われてもツライだけだと思う。現場が。

 

とはいえ、

アジャイルとかいうのがなんらかの改善を伴う活動だっていうのは間違いないが、

 

「レビューで手戻りが起きた!」

→ 『よし、改善だ!』

→ 『事前に仕様に間違いがないことを合意して押印してもらうぞ!これで改善できるぞ!アジャイルだ!』

 

ぐらいのことはきっと起きるし起きてる。ツライ。

 

(例えは極端だけど、予実がズレたから1ポイントを1人日にしましょう!みたいなチームは稀によく見る。スクラムマスタークビにしろ)

 

じゃあどうすんのさ

どういう観点で改善進めるのかが肝心な気はしている。

 

ディスカバリーサイクルとデリバリーサイクルの流れをよく見るのが一番効果が高くなる気はしている。

バリューチェーンのどこがボトルネックだったり、サイクルタイムを長くしているのかを調査する。

(やることや観点はパフォーマンスのチューニングと一緒だったりする)

 

視野を狭めると効果がないので注意が必要だったりするし、難しい。

 

開発チームの中でスクラムを回して楽しく開発してても作ったものが本番にデリバリーされてないならそこに目を向けないでスクラムスクラム言ってるのはなんの意味もない。というか浅い。

よっしゃ DevOps や!とか言いながら改善スコープを広げていくしかない。

実は開発サイクルじゃなくて PO が顧客と話してまたは調査して課題発見するまでがボトルネックだったり長くなってるならそっちに手をかけないと意味がない。

一生懸命アプリケーションのチューニングばっかりしてるけど DB のレスポンス遅いのは DBA の仕事だから僕知らない、みたいな。良くないしそっちがパフォーマンスにおいて支配的なら自分のスコープに拘る意味がない。

 

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 ------2020/3/17 追記-----------

この辺で雑に書いてたことは全部綺麗に Ryuzee さんのブログに書いてあったから各意味なかったのと思ってるしそっちを参考にした方が1億倍健全ですのでそっちを見てください。

不確実な環境の中で 変化にどう対応すべきか | Ryuzee.com

 ------追記終わり-----

 

アジャイルを広める

とかいう難儀な仕事に就くなら、社内の改善サイクル、改善軸の手助けから始めるのがよさそう。

脳死で大規模プロセスとか導入するのはラクだし成果も見せられるだろうけど結果には繋がらんので。

(さいきょうのサーバーを1台置いたんで、ここでみんなかいはつしてでぷろいしてさーびすしてください!なんて悲劇しか起こらんでしょ)

スケールさせるのはプロセスじゃなくて文化。間違えると人間軽視に走って自己否定になるし。(もちろんプロセスも大事だけど。)

 

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結局『アジャイル』とかいう実体の伴わないラベルは忘れた方が良いのかもしれない。

(AI やりましょう!くらい胡散臭いと思っていい)

 

自分らが顧客に何を提供するかの観点で、じゃあ何の問題を解決しましょうか、の繰り返しの結果、多分アジャイルみたいな何かになっている、はず。たぶん。知らんけど。

一方で、アジャイルっていうのが、どんな課題にどんな解決策で上手いことやってるか、というのは、知っておくと効率が良いし車輪の再発明しなくて済む。かな、って程度で。

研修やカンファレンスへ自費で行くかどうか

研修やカンファレンスに自費で行くかどうかっていう話

 

id:kobase16 さんの記事を見て思ったこと。

個人的には、ここ 1, 2 年は自費で行く場合が増えた。

理由として考えてみると

  1. 会社にとってまだアジャイルはそんなに必要じゃない。5年後には必要だけど。
  2. 社内の手続き&社内システムが面倒。金払ってでも回避したいレベル。
  3. 給料増えた(少しくらいはね)
  4. 仕事観が変わった

って当たりなのかなと。ハイパーものぐさなのはさておき 4.が一番大きい気がする。

 

どっかで見たんですが、「会社に仕える」っていう働き方と、「ジョブに仕える」働き方のパターンがあると。

  • 前者 (会社に仕える) は、会社のミッションに合わせてアサインされた仕事をこなす。何をやるのかよりも、どこに所属するか、が重要
  • 後者(ジョブに仕える)は、自分のジョブ(エンジニアとか)を発揮できる(金を払ってくれる)会社で仕事をこなす。何の仕事をするのか、が重要

で、個人的にはある程度アジャイル周りの経験を積んできて、後者に意識が移行してきたんだと思っています。

というか、会社に依存すると、会社が倒産したときにリスクしかないので、外でもやっていけるスキルを身に着ける=外のジョブ(欧米だとギルドみたいなもの作りがち)に交流することが増えるので、結果として私の中で必然的に会社への依存が相対的に低下したんだと思います。(まあ会社の本流じゃないことばっかりやってるし)

なので、自分がやりたい仕事をするうえで、自分の成長への投資っていう意味で、カンファレンスなどへの費用は自費で言ってます。当然 RSGT は休暇を取りました。

2020.scrumgatheringtokyo.org

(えっ、お茶の水なの‥?)

 

まあ結果として投資した分以上の給料のフィードバックが返ってきているので、そこら辺の株に投資するよりはリターンが大きいかなと思っています。

30代までは金融資本よりも人的資本に投資した方が効果が高そうなのでそうしています。